いかれたBaby

1993年、わたしは幼稚園か小学校1年生かそれくらい。その年の曲。今週のモテキではフィッシュマンズピチカートファイブも出てきて、フジくんの着てるZAZEN BOYSのTシャツもわたしと同じで先週のゆら帝Tに続き嬉しかったり、とても身近に感じるドラマだと改めて思っていたわけです。

知らない世界があることと、戻れない世界があることが、わたしには何かこう、ぐっと来る。フィッシュマンズを聴いていると心が浮遊する。ゆったりしたテンポに柔らかい音、目を閉じたままにやけて、ずっとこのままだったらいいのにとか、ずっと夏の夜がいいとか、ずっと夢心地でいたいとか、ずっと90年代だったらいいのにとか、ふわふわな空想がとまらなくなる。
けれど、わたしは彼らの曲をリアルで体験していなくて当時5才か6才だった。97年でも11才とかで、わたしは本当の彼らの時代を知らない。でも、ピチカートファイブフィッシュマンズもこうやって世代の違う私たちに、彼らの音は届いている。わたしは音と共に時代も受け取っているつもりだ。だから、知ったかぶりかもしれないけど、幼少期で少しだけ見ていた「世の中」と「時代」に、私の中で生まれた、きっとこういうことなんじゃないかと「後から感じたもの」をプラスして、90年代特に前半の曲を聴いている。
90年代には戻れないけれど、音楽と共にその時代を感じ取り、心地よくなるのは、自由で、わたしは多分90年代の音楽を聴いて、その時代や世界を想うことが好きで生きる為の励みになっている。想うこと、感じ取ることは、幸福だと思っている。
知らない世界も戻れない世界も、憧れとかに近い感覚なのかもしれない。

耳を離す隙はありません。最初の1音から100%良いです。保証するので是非、お聞き下さい。fishmans「いかれたBaby」どうぞ。

昨夜は浴衣でお祭りに、一昨日の夜は花火を、今週は海に。今は「動」が幸福と、きっと感じているのだと思う。まだそんな24才、夏です。